福島県中通りのガク∞サッカースクール

近所の子どもとサッカーをやったときに感じた「違和感」について

ある休日の話し。

親戚の子どもたちと公園にサッカーしに行くと、一人でボールを蹴っている少年がいたので「一緒にボール蹴ろうよ」と声をかけました。

すると、「下手だけど大丈夫ですか?」と返ってきました。

もちろん、上手いとか下手とか関係ないから一緒に遊ぼうよといって、長い時間一緒にミニゲームを楽しんだわけですが、ずっと頭に引っかかっているんです。

「下手だけど大丈夫ですか?」っていう言葉が。

わかるんです。下手だからみんなに迷惑かけないかな?っていう感覚。

自分が楽しむことよりもみんなに迷惑がかからなかったらそれでいいっていう感覚。

多分日本人なら多くの人が共感できるのではないかと思います。

上手くなきゃサッカーやっちゃいけないという刷り込み。

私自身、子どもの頃、下手で馬鹿にされた経験があります。

そして年代を問わずサッカーの(サッカーに限らずスポーツの)試合の現場では、

下手な子は試合に出れないどころか馬鹿にされていた様子も見てきました。

そんな経験があるから、あの子の気持ちとてもよく分かります。

どんな経験をしてきたか想像がつくわけです。

別の日、近所で行われていたジュニアサッカーの試合を見ている時、結構な大差で試合に負けたチームのコーチが、子どもたちにこんなことを言っていました。

「お前ら下手だから負けたんだよ。何点取られたの?下手な奴は試合に出る資格がないことがよくわかっただろ!」と。

試合に負けた時って、こんなものですよね。僕らの時代もそうでした。何度もボロクソに言われた記憶があります。

多分、サッカーだけではなくて、あらゆるスポーツの育成年代で共通する光景なのではないでしょうか。

こういうことの積み重ねで僕らは育ってきました。悔しくて負けたくなくて練習する子もいれば、辞めちゃう子もいる。  残った子だけ生き残る。でも、健全ではないと思うんです。

子どもたち、特にまだサッカー始めたばかりの子たちに対して、上手くなきゃダメ、下手だと恥ずかしいという刷り込みをしてしまうことは良いことではないと思うんです。

昔(19、20歳の頃)東南アジアを一人旅していた時のことです。香港という国でストリートサッカーに混ぜてもらったとき、本当にびっくりするぐらい下手くそな人たちが、思いっきりサッカーを楽しんでいる光景に衝撃を受けました。

青年海外協力隊でサモアに行った時も、下は小学生から上は60代のオッサンたちが30人くらいで、デコボコのグラウンドでボロボロのボールを追いかけまわしながら汗だくになってサッカーを楽しんでいました。

日本だと馬鹿にされるレベルの大人から子どもたちが、下手なことなど微塵も気にせずサッカーを本気で楽しんでるんです。

もちろん中には上手い人もいますが。

普通、下手なプレーすると恥ずかしがったり、遠慮するのが私たちの文化ですが、これがまったくないわけです。

どっちがサッカーの(スポーツ)の本質なんだろうか?

どっちの環境が子どもたちにとってよい環境といえるのだろうか?

答えは一人ひとり違うと思いますし、徹底的にプロを目指して頑張る子どもや指導者を否定するつもりは微塵もありません。

ただ、一つだけいえること。

サッカー(スポーツ)は楽しいよ。ということ。

その楽しさを味うためには技術の上手い下手は一切関係ないよということ。

それだけです。

その「楽しさ」が自信や頑張る力の原動力になると私は思います。

そのような環境をいかにしてつくれるか。

まだまだ勉強の途中です。

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